長文失礼の話

(日付ずらして書いてます)
http://d.hatena.ne.jp/ymScott/20071204/1196697525
を読んで。以前書いてからもぽつぽつ考えてたり話したりしていたのだが、そこらへん含めてリライトしてみる。
自分が以前書いたのはこれ(翌日に追記あり
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20070825#p1
ちなみに冒頭の引用は
mtx::マイナス辞書 - 断片部


とりあえず、「長文失礼っていっといて一行加えるのはどうなの」とかそこらへんは、まあ少し考えればわかるんだから考えろよな、とは思うんだけど、使用者はフレーズ、枕詞として使ってるのだろうからしょうがないかもしれない、とか思う。
フレーズ化したのも、レス数やバイト数が有限な掲示板文化の中で定着してきたのだろうから理由としては妥当かも、というのもある(その独特な文化をTPOわきまえず使うのはよろしくないよな、というのはあるにしても)。


の上で、それでもこの「長文失礼しました」はなくなったほうが良いと思う。端的に言うと、このフレーズから「長文は普遍的に失礼なもの」「長文失礼しました、とさえ言っておけばOK」という価値観が出てくるのが想像できて、それは俺にとってだいぶ都合が悪いので。


それと、前回も書いた、長短よりも「目的や理由」の方を気にしろよ、という部分。「失礼します!」と言いながら近所を爆音で暴走されても困るし、「失礼ですが、この壷を買うと…」と道端で引き止められても困る。逆に、「失礼します。パソコンがウイルスに感染して困っています><」みたいなのなら、目的がわかるので素直に「ああ、謙譲語の枕詞なのだな」と流せるし、対策を教えてあげればいいのだな、とわかる。
で、不自然な「長文失礼しました」が発生しがちなブログのコメント欄というのは、たぶん「失礼する側」と「失礼される側」の目的に対する感覚に違いがあるのだろうな、とか思う。コメント(特に個人の管理するブログのそれ)というのは、なんだかんだいって基本的に「その人」に向かってのコメント、と思われるわけで、「失礼される側」としては、何か意図や目的を持って何かを投げかけられた、と感じるのが大抵だと思われる。けれども、「失礼する側」としては「その人」という意識はあまりないのではないか、とか。本当に「その人」に向かってコメントしたい場合、メールとかTBとか色々手段はある中の一つとしてコメントってのがあり、そして(事前情報がないのなら)「何が失礼に当たるか」というのは不明なわけで、「長文失礼しました」というくらいなら「失礼に当たるかもしれない長文コメントをしたいのですがよろしいでしょうか?」と聞くとか、「失礼に当たるかもしれませんが、これこれこういう目的のためにコメントすることにしました」と付記するとか、「長文失礼しました」よりマシな手段は色々あるのになあ、と思ってしまう。


あんまりオフラインにそのまま例えたくないが、道端を歩く人に声をかける、話を聞いてもらう場合、「謙譲語」「意図と目的の説明」「それ(お話)をしてよいか確認する」のどれが必要だろう?という話に。で、下手にオフラインに例えると「声をかけることは失礼なこと」となりかねないのでネットの話に戻して、ネットではそもそも「失礼」という概念があまりキッチリ決まってない、というところは広まって欲しいかな、と思う。俺の都合のいい方向としては、意図と目的さえはっきりしていれば、基本的に「失礼」ではない、という方向になって欲しい。

いまのところこんなところ。ちょっと固まりきる前に書いちゃったかもしれない。また機会があればリライトする。