生む生まない

ネットでなんか書くと何かが生まれたり生まれなかったりするらしいぜ、周辺。
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20071127
と書いたが、この用法からはちょっと離れて、実際どうなの、という話。
過去にジョジョのローグライクの攻略を書いたことがあって、いわゆる大手ニュースサイトにリンクされて恐らく累計1万くらいのアクセスがあり、他にもGoogle検索とかでコンスタントにアクセスあるっぽいのだが、で、それで何かが生まれたか、というと、あんまり生まれた気はしない。とりあえず彼女が出来てもいないし筋肉がムキムキにもなっていない。もしかするとそこから定期的に読むようになった人がいる、かもしれない、と思いを馳せる程度。いたらありがとう。あと、ゲームを楽しむ人が増えたのなら僥倖であるが、それは俺の知るところではないし、「書いたことで何かを生んでやったぜ!」という感じではない。
もうちょっと進めて、これでジョジョの人気が少しでも上がって、荒木飛呂彦先生の年収がとても若干増えたのなら、まあ、何か生んでいる気はする。
で、ここからさらに進めると、その「何かを生む」的なところをある程度意識するならば、例えば商品のリンクを置くとか、荒木飛呂彦が連載中の雑誌社のサイトのリンクを置くとか、そういうところになっていくのかなあ、と思う。うっかりアフィリエイトのリンクを置くと「金の亡者が!」「アフィ厨乙」「うまくいえないけどキモイ」とかなんとか言う層が生まれてしまうかもしれないが*1、それはまあネットの海に数バイトの文字列を生むだけであるので、そのリンクで商品が一つでも売れて誰かの年収が上がればそっちの方が「生む」的ではないか、とか考えた。
なんだかこの前書いた時の「生む生まない」とはちょっとニュアンス違うかもしれないが、こういうのもまたネットによって生まれる(発生する)とかしないとか、あたりの話になるだろうから書いておく。

*1:ちなみに、そういった「感想」「感情」の類は、どっちかっつーと書き手ではなくて読み手が「生んでいる」ものである、と認識している。