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多少手を加えている。後でいくつか抜き出すかも。


言葉

  • 俺基準での「面白い言い回し」と「気持ち悪い言い回し」の分岐になんとなく見当がついた。恐らくそれが機能しているか、というので分岐する。けどこれいわゆる「ギャグ」というものを無視した理屈だなあ。ある意味特別扱いで神性視でもあるんだろうが。
  • 無知の知」的な発言が「俺はバカじゃない」「お前はそんなに立派じゃない」以外の用法で使われているのを見たこと…はあるがそんなに多くない。最近は観測範囲が狭まってそもそも見ない。
  • けまらしい」に関しては情報の共有という視点から考えてたし、「東京ブロガーめ!」とかは相当前からネタとして言ってきてたのにある時期から妙にオフ会についてどうこう、という文脈で読まれるようになった感がして不思議。2年間でそれだけ反応する層が増えたのか
  • カジュアルに「考えるな感じろ」といっちゃうのはリーさんに失礼だよねー、というのを流行らせたい

書くこと

  • カテゴライズ話は 場、環境(人間とアクセス)>>余暇時間(生活形態)>>世代(生年) の順番で重要だと思っているが、ネットで目にする頻度は逆だな。
  • 不幸を語るというのは、あれだな。「私はこうです」の先に何があるかということで、それが「少しは考えろ」なのか「あなたはどうですか?」なのか、という。後者がネットのあるべき姿だとは思う。今のところ。

自他

  • 観測範囲狭いことへのツッコミとしての「類友」及び「それはお前のせい」
    • こんなところでも自己責任論が
  • 「他人に自分の何かを規定されること」をものすごく憎悪していたはずなのに、いざコミュニティに巻き込まれてしまうと「あいつは○○」式毛づくろいに馴染んでしまう光景というのはなんともいえないものがある。
  • 俺言語を振り回していたらそりゃ他人に当たるし、そうなった時にそれまで俺言語に頷いてくれていたり何かわかったようなことを言ってくれるような人も「気遣い」はできこそすれ「翻訳」はしてくれないのよな、という。最悪見当違いの茶々入れが来る。
    • 俺言語使いとしては他山の石であると共に、俺言語やりこみの重要性が上がるきっかけになれば俺にとって都合がいいので好ましいことではあるな(俺言語が氾濫して摩擦が起きることが
  • コミュが困難も深読みしてしまうのも「私は○○」と上手く言えないからではないかな(趣味、自己肯定量、モテ度合いなどによって言いやすさや効果が変わる)。「あいつは○○」を延々並べて繋がるコミュニケーションもあるっちゃあるけど。
    • あれだな、「私は○○」と表明してもマイナスにしかならないよ、というのが一部世代のオタクや非モテ(持)の問題の一面ではあろう、とか時折思う。
      • でいて、古のオタク像は「一般人に暴走アニメトーク」だったし、今の若い人も「ニコ動前提マシンガントーク」をやりがち、みたいな話もあって難儀
    • 「私は○○」と「あなた(あいつ)は○○」の違いについてちょっと考えてたんだけど、どうもそれは両立可能のようだ。「私は」というのが強い人でも(だからこそ)他人の名前を平気で出す、みたいな。


ゲーム

  • 昔のこと書いてて思い出したんだけど、ドリキャスシレン(アスカ)のキャンペーンで立派な掛け軸をもらったはずなんだがどこにいったか行方が知れない。
    • あれは当時「何やってんだチュン(とセガ)」といった感じですげーインパクトあったんだがあんまり話を聞いたことない。初代の掛け軸裏とかぶって検索もうまくできないし。
  • 勝負事は(回答や最善手を)知っているかどうかが重要であってホットかクールかはあんまり影響しない、という仮説(下手糞は冷静でも下手糞、という自分のゲームプレイが根拠

日常その他

  • 雪かきスコップの商品名、ハンドラッセル。キャッチコピー、「雪ばなれバツグン」
  • 携帯の操作音って何で存在してるんだろう。シャッター音ならわかるんだけど。