「過去の自分」について

web色紙評論家の瀬戸風味です。嘘です。
http://d.hatena.ne.jp/y_arim/20080814/1218739253
これを読んで
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20080804#p1を書いてたときにすっとばして書いてたことを書いてもらった感じがした。まあ、「許す」と決めたとしても、この前言及したnitinoさんの文章のような出来事は起きるということでそれだけでオールオッケーなわけではないんだろうけれども。
あと、自分の感覚では「許す」というよりかは「抱えて生きる」の方が近い。んー、これは深読みしすぎかもわからんけど、「許す」としてしまうと「なかったことにする」という選択肢も存在してしまって、それは自分にとってはちょっと嫌だ。
「攻撃してしまう」までは行かなくとも、「若いころは馬鹿だったなあ」「そんなことはどうでもいいから○○しようぜ」となってしまうと、なんか許してる感じはするんだけど、それはやっぱり「(過去を)下に見ている、見ようとしている」んではないか、とか。
なので、「抱えて生きる」になるわけなんだけど、うーん。それは「拘れ」とか「悶々としろ」では決してなくて、なんだろう。「真面目にやれ」が近いか?自分が過去そこにいたことを認め、そして今現在そこにはいないことを認め、そして過去の自分(のような人)に対しては真摯に向き合う。そういったスタンスが理想なんではないか。


参考:「伊集院光がゲーム対して持っている感覚」を引用したときがあったのでそれを
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20070902#p1