過去を改変する意思(ネガポジ周辺)

twitterの発言ベースで

  • 未来を夢見て現在を変えようとするのが「前向きポジティブ」だとして、より良い現在のために過去を改変(あるいは捏造)しようとする意志は何と呼べばいいだろうか。そこが効能の割に軽視されている気がしている。
  • 「変えていく*1」ことが「良いこと」とされる文化圏でも、「過去の自分の発言を遡ってどうこうする」ということには消極的のように見える。自分にとってそれは、投げたら投げっぱなし、かつ、過去の自分を大事にしない、ように見える。
    • 息の長い淡々とした書き手、と俺が思っている人は、不思議と「過去をふりかえる、改変する」意思が割合強いような気もする。
  • ネットでたまたま運良く会話することになった人の指摘を無下に切り捨てる、我を通す→「ポジティブ」。自分周辺のローカルな価値観への違和感をネット空間に吐き出す→「ネガティブ」みたいなことが思い浮かんだ。
  • ツッコミ入った時に認めて開き直るのはまあアリだとは思うんだけど、そういうのは概ね、そこに至る思考過程とかツッコミ入った部分への想像(再思考)とかがゴッソリ抜け落ちてるんだよなー。あとわざわざ「目の前に現れてくれた人」に対して開き直ってるって事実がすげー軽かったり。
    • 細かいチェックポイント持ってる人ではない場合、「返答した(してあげた)」「自分(わがまま)を貫いた」という事実だけが可視化されるのか。とすると、それを「外見」と表現するのはやっぱ正しいのかなー。

*1:啓発とか適応とかなんか色々