空間に対する感覚とか

ある空間、わかりやすく言うと「特定の店」のようなところに対する感覚(…がなんらかの出来事を生んでしまった事例)を目にする機会がたまたまあって、そのいくつかの事例からは、その空間(店)を「私(たち)の」と認識しているような雰囲気を感じたりした。
ネット上で「我らが」なんて書いてしまうことにも気恥ずかしさを感じてしまったりする自分にはこの感覚はいまいちわからないことが多い。
都市圏だと人が集まる上に「地元」みたいなものもないから、自然と「集まる場所」→「私(たち)の」みたいな感覚が育ちやすいのかなーとか考えた。けど、うーん。都市圏に限らない気もする。地方でも集まるっちゃあ集まるし、学校とかが絡めば「溜まり場」的な場所はどこにでも現れるだろうし。
自分は「場所」「店」に愛着や思い入れを持つことはなくはないけれども、それはあくまで一定の距離を保ったもののような気がする。1日のうち、その場所へ幾人もの人が集い、去ってゆく、その中に自分がいて、個別の記憶が出来上がってゆく、といった感じに。
生活や脳内においての優先度、比率が高まれば、当然その空間への思い入れは強まるけれども、それはあくまで自分の感情なので、空間は空間としてあるだけだ。「大自然」のように「介入できないただの現象、あるもの」とまでは思ってはいないけれども、あくまで自分は「訪れる人」として振る舞う、ということなんだろう。
いつもならここで「大学で学生と一切会話をしない学生だったからな」とか言い出してお茶を濁すんだけど、高校のときは「溜まり場」あったんだよなー。でも「我らが」みたいな感覚はかなり希薄だったように記憶している。ううん。