非モテというフレーズを巡るあれこれ

非モテというフレーズについて。現在の認識。

永上某の活躍*1および非モテSNSによって、非モテというフレーズは一周目を終えたと思っている。簡単に言うと、「非モテってなんだろう」という意識*2が根っこにある人たちが主導権を握って語っていたのが、それがない人によって使われるようになるだろう、みたいな認識。その「なんだろう」という認識すら共有できなくなった上で、あえて「非モテ」を語るのを、俺言語で「二周目」と呼んでいる。

永上某が使用するような「非モテ」の用法は、見方によっては「ひどい」用法に思えるかもしれない。けれども、自分を含め、そのフレーズを一度でも「ネタ」として利用したことがあったなら、もしくはそのフレーズをコミュニケーションの補助輪として利用、あるいは期待したとしたなら、その人は、彼の用法を全面的には否定できないと思うのだ。これが私達が望んだ世界なのだ、と。そこに自分が存在しているかどうかは、その人によるだろうけれども。この認識の上で何が語れるか、というのも「二周目」には含まれている。

個人的な感覚だと、「二周目」として語れている、振舞えている人はものすごく少ないし、とても難しいものだと思っている。もちろん自分も「難しい」中の一人だ。

ある事例について

http://d.hatena.ne.jp/yugyu/20090520/p1
このように突っ込むことが無意味だ、というにはまだ早いかもしれない。けれども、フレーズがそのように(漠然とした「あいつら」程度の意味で)使われることを、私たちはいくつも見てきたはずだ。スイーツ、ビッチ、DQN。ウヨク、サヨク。あるいは、フェミニズムジェンダーフリー。などなど*3

発言者自身が言うように、「だから何?」と流せばいいのだろう。言葉はもはや彼らのものだ。一周目は終わったのだ。「気にする人」から「気にしない人」へ主導権が移ったのだ。彼らは存分に言葉を使うだろう。スイーツやビッチといった言葉がネット上において縦横無尽に使われるように。
「スイーツが」「ビッチが」とネット上に発言する人に「それはどんな定義ですか?」「あなたが指し示すものは誰(どこ)のことですか?」と聞くことでコミュニケーションが生まれる、と思う人は、もはやいないだろう。今はもう既にその段階に入りつつあると思う*4
(以前からそうだったとも言えるだろうが)拡散はもう止まらない。藁人形として燃やされても、ミサンドリーのダシにされても、自己憐憫の道具になっても、それはそういうものだ。確かに言葉というのは、そういうものだ。

突っ込むものがいなくなったとき、今回のような用法から生じるコミュニケーションからは「非モテに関する話」というタグさえ外れて、「ミサンドリーミソジニーの最終戦争」みたいな具合になるのだろう。が、そんなのは2chの片隅とか*5ではずっとずっと保たれてきた状態だし、そういうのを好む人もいるだろうし、他人にそれを止めることなんてできないだろう。少なくとも「言葉」の「定義」あるいは「意味」を気にかけていた人間にとってどうにかできる段階を超えている。

とはいえ、非モテはあまりにも漠然とした定義のまま広まったが故に、誤読されやすいながらも、必ず毎回決まった意味で誤読される、という可能性は薄いとは思う*6ので、そこであえて「俺言語としての非モテ」と、他人のそれとをバッティングさせてコミュニケーションの補助輪にするのはまだ可能性としては残っていると思う。バッティング前提になるので筋は悪いかもしれないが。

手前味噌ながら
http://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20081109#p1
において自分は「非モテ」という言葉を例示の中の一つでしか使っていない。それでも「非モテ」の話、と読んだ人は一定数いると思う。まあ書かれた理由とか自分が今まで書いてきたものからの類推ではあろうけれども、とりあえず今回のケースとは違ったサンプルとしてあげておく。

漠然と、フレーズについて

「二周目」として語るのは難しい、と書いた。けれども、その困難さに抗うのは、「気にせずに使われる」ことを受け入れつつも、「気にして語る」ことは、無意味ではないと思う。言葉を大事にする…と書くとうさんくさいが、気を使って言葉を使うことは、自分の内面を整理することにも繋がるし、そういった振る舞いから生じる文章やコミュニケーションは、自分はとても好ましいものだと思う。
また、もしその言葉に何らかの歴史があるならば、そこに価値はあるはずだし、その歴史の中の一部分を自分の中に持ち続けることは大事なことだと思う。これはもう非モテに限らず、「言葉」というものは、そういうものだと考えている。

ただし、もし、新しく自分の中の何かを正確に表現しようと思ったのなら、一から自分で造語するべきだ。既存の造語でできあがったラインを利用するのならともかく、そうではないのなら。そして造語する場合、極力他の何かとバッティングしないようにするべきだ*7*8。これは俺の経験則でしかないけど。

*1:活躍と書くと語弊がある気がするが便宜的に活躍としておく

*2:これはストレートに疑問の形だったり、定義に対する執着という形だったり、表出の仕方は色々。

*3:「オトコ」「オンナ」も入れていいかもしれない。あと一部の人は「はてサ」というフレーズの自由さでも想像すればいいと思う。

*4:自称の側面はまた別として

*5:もっと言えば、現実の狭い空間、居酒屋やサークルの部室、あるいは昼時の公園で

*6:今回のように「国家が女性を配給するように主張する男性=非モテ」という認識は、ネットのある特定の界隈へのnetwatchに積極的な人以外にとってはそれほど一般的ではないと思う。ネット以外のメディアに露出した書き手とその主張とかから推測。

*7:特に「ガチで言葉を使ってる人」が存在する分野の言葉は絶対に回避するべきだと思う。

*8:言葉はどうやっても拡散するので確率をゼロにするのは無理だけれども、極力。