非モテ語りと二周目
前回が飛ばしすぎだったので翻訳解説してみる。我ながらめんどくさいやつである。
非モテ語り(自称における)
- 非モテという言葉をフックにして自分の状態、問題を考える。
- あるいは非モテという言葉の定義について考える。
- これらを好き勝手に語っていたのが「非モテ語り」、と自分は解釈している。
- それが「自分の問題」から「恋人がいない」あたりに意味が固定されつつあるな、というのが自分の解釈。
- これらが「なんだろう、という共通認識」と呼んでいたもの。
- それが「自分の問題」から「恋人がいない」あたりに意味が固定されつつあるな、というのが自分の解釈。
「二周目」について。自分がイメージしているのを書いていく。
自分の状態、問題が解決、変化する。
- モテた、恋人できた、結婚した、環境が変わった等「自分の問題」として語るのが困難になったケース。
- 「語るのをやめる」「説教をはじめる」「過去の自分を抱えながら語る」の三択か。
- 「非モテの人」と認識できるのは最後のケースたけなので、最後のケースが該当。
- 「語るのをやめる」「説教をはじめる」「過去の自分を抱えながら語る」の三択か。
「非モテ」という言葉を視界に入れつつ、他の言葉を用いるケース
「自分の問題」から範囲を広げるケース
- 自分のイメージだと「非モテのためならモテることもいとわない*4」とかなんだけど…解説難しい。
- 「社会を変革」「世界を変える」系統が近いっちゃあ近いけど、単に手段なだけだったりもするからなー。こればかりは「どう判別するかは人それぞれ」と逃げておく。
- 酒の席で2、3杯飲まされて気持ち良くなったら語り出すかも、くらい。なんだそりゃ。
- 「社会を変革」「世界を変える」系統が近いっちゃあ近いけど、単に手段なだけだったりもするからなー。こればかりは「どう判別するかは人それぞれ」と逃げておく。
こんなもんだろうか。で、ここまで書いてきて言い訳がましいけど、setofuumiさんも人間なので「今まで読み書き経験してきた個別の記憶」に従って考えて、判断して、書いている。そもそも書き始めた動機は俺言語の解説及び自分なりの非モテ観の整理あるいは総括だったし。
なのでこれが固定された「非モテ」の解説になるとは思っていないし、全く異なった非モテ観があって当然だと思う。それはその人の、非モテというフレーズに関わる経験、記憶、観測範囲がそういうことだった、という話なので。
あと付け加えておくと、「二周目」というのは、言葉に触れて何かを語り始める「一周目」があってこそ何かが生まれてその先があるわけだし、そしてたかが言葉一つを捨てた程度で「問題」は終わったりはしないよ、という意味を込めて使っています。