ラブプラスと彼女の違いあるいは現実とゲームの区別を付けない

確か「ラブプラスと現実の彼女がうんぬんかんぬん」という話が発端だった気がするけどどこだったか忘れた。わかりやすいのだとhttp://twitter.com/SiTube/status/3840801742

「ゲームやってる人間に『現実で○○しろ』って言う」のは、まあわかりやすい勘違い*1なので掘り下げないが、自分がこういうのを見てて思い出したのは

「なぜゲームのやりこみ*2動画では『こんなのできねー!』とコメントされがちなのか」

という話だったりした。
お茶の間で野球のイチローがストライク返球でランナーを刺したりする映像とか、100Mを9秒台で走る映像を見て開口一番「こんなのできるわけがない!」と言い出す人がいたらだいぶ心配な人か、もしくはだいぶコンプレックスを持った人*3だと思う。後者はまあその人の人生の問題なので捨て置くが、普通だったら心配されるようなことがどうしてゲームだとありがちなのかなー、とか思ったりした。

あと「その人の人生の問題」といったものの、これがもし『超執刀カドゥケウス*4を見て外科医が「こんなんできねー!」といったり、スポーツ選手が、なんだろう。テクノスのくにおくんシリーズ*5を見て「こんなのできねー!」というと若干説得力はあるか?いやくにおくん見てそれ言ったらだいぶ心配だな…。

これを冒頭の話に置き換えると、恋愛関連のゲームで「こんなのできねー」というのは、だいぶ心配かも。でもこの前書いたけど、フィクションのアニメーション映画を見て「しにてー」って言う人もいるからありえない話ではないのかもしれない。でもバントでホームラン打つのを見て「こんなこと俺にはできない。死のう。」とか言われたらちょっと対応を考えた方が良さそうだ。

まあ多分、「やればできる」「やってもできない」というのが、その人の内部で無意識のうちに決まっている、というだけの話のような気がした。「ラブプラスやってないで彼女作れば」という人は無意識に『彼女はやればできる』と思っているし、STGの真ラスボス動画を見て「こんなのできねー!」ってコメントする人は無意識に『STGはやればできる』と思っているのだろう。
俺なんかはSTGをちょいちょいと触った経験があるので「STGはやればできる」というのは(理論的には正しいとしても)軽々と発言はできないなあ、といった風に感じるけど、そうでもない層がいるっつーことなんだろう。それは「本当にやればできる層」と「やればできると思い込んでいる層」がいて、多分後者が多そうだな、とは推測している。
さて、「ラブプラスやってないで彼女を」という人は、「本当にできる」のだろうか、「できると思い込んでいる」のだろうか。そしてその影に、俺が「STGはできる」と言えないように、言いよどんでいるような層がどれだけいるのか、とか考えると面白いような気がしたけど、俺はラブプラスやったことない*6のでここらへんで止めておく。




追記。ええと、STGに関しては「やればできる、は理論的に正しい」というのは実感しているところですが、それでも「できねー」というコメントが出てくる背景には色んなグラデーションがあるはずだ、という推測から例示として出しました。
あと本来は色んなケースによって「できねー」が指し示す対象とか実現可能性とかからキッチリ場合分けして図なんかにしちゃったりして書くべきなんだろうけど、まとめてる時間とモチベーションがなかったので全部うやむやにしたまま書いています。うやむやだね、っていう了解が取れるところまで書きました、ということでご勘弁を。

*1:とはいえゲームを軍事に転用、とかは実際あるらしいので一概に勘違いと切り捨てるのはよくないのだが

*2:トップレベル、高難度なプレイ、くらいの意味

*3:肩の怪我や弱さでプロ入りできなかった人とか?

*4:外科手術アクションゲーム

*5:要すると『必殺技』のあるスポーツゲーム

*6:やったことはおろかどんなゲーム内容かすら知らない