書くことと観測範囲、あるいは他人との向き合い方について。

anondにて
http://anond.hatelabo.jp/20091002233254
こういうのがあって、

このての話は全部「観測範囲の問題ですね」で終わればいいと思うんだけどそうもいかんのだろうな(言い換えると、書き手の彼は「彼ら」とどれくらいコミュニケーションをとったのかわかんないよね、という話)

とブックマークでコメントしたのだが、これというのは

http://twitter.com/setofuumi/status/4441875682

山で集団生活を送ってた時になんだかんだで陰口みたいなこともやったのだが、その時に一番「俺ってひでーなー」と思ったのは「ほっときなさい、あの人はそういう人だからそうやってこの後の人生も送っていくんでしょう」ってコメントしたときだった。

これにちょっと近いかなーと思った。


というのは、他人に対して「こいつダメだなー」とかなんとか、まあ何らかの感想を持ったとして、問題は『その感想を他人にどのようにして伝えるか、あるいは伝えないか』というところにまずポイントが来るように思うんだけれども、そこのところの判断が曖昧だったり勝手に前提として処理されて、冒頭のanondの文章及び反応のように『その感想は理屈として、人間として正しいのかどうか』みたいなポイントに焦点が当たってなんだかんだと反応が連なっていく、ように見えたのだった。


一応anondの彼は「無関心でいるべきなのだろうか?」と結んでいるので、そういう点*1に関して無頓着というわけではないのだろうけれども、まずその他人(anondの彼の周囲の人間だろうから、当然名前もあるだろう)を、彼はどうしたいのか、どう扱いたいのか、どういう付き合い方をしていきたいのか、というのが、この文章からはほとんど感じられなかった。俺の感覚だと、「どういう選択が人生において正しいか?」というチェックよりもまず先に「その他人さんを自分はどうしたいか、どう扱いたいか」というチェックが先に来るように思うので、そこのチェックはどうなっているのかな、と不思議に思ったりした。ので、まずそこを解決してからどれが正しいとかどう伝えればいいかとかに進んでいけばいいんじゃないかな、と思ったのだった。とまあこうして書いて見るとanondの反応のひとつ*2と大して変わらないか。

ちなみにtwitterのpostで陰口を叩いてしまった対象は、まあ色々あって*3「彼を(自分から見て望ましい方向に)どうにかしよう、とは思わない」と判断を下したので、このような陰口が出てくるに至った。これがもし「どうにかしたい」と判断したなら、もっと彼とコミュニケーションをとって彼がどういう人間でどういうことをしたいかを調べたりしただろうし、自分の感想を伝えるように色々と手を打っただろうと思う。が、それを俺はしなかった、と。

で、結論としてはanondの彼は「周囲の彼ら」と言ってしまわずに、もっと「こいつ」「あいつ」くらいの区別がつく程度にコミュニケーションをとったらいいと思った。その上で、自分がそいつをどうしたいかを考えればいいように思う。

さらに付け加えると、このanondの彼は若い学生のように思われるので、こういうのを見かけたいい年の人は微笑みつつ「観測範囲が狭いですね」くらいの反応をして欲しいものだ、などと思ったりした。


書いていて思ったが、こういうのが「なぜ炎上する書き手はメッセンジャーやメールやオフラインのダベりでリサーチをしないのか」問題あたりに繋がっていきそうな気がした。ところで終わる。

*1:他人に伝えるか、伝えないか

*2:http://anond.hatelabo.jp/20091002235840

*3:これはかなり濃密なコミュニケーションを強要される環境においてマジで色々なことがあったが非常にプライベートなので伏せる