ブクマコメもらった


あー、こういった流れはそれとなく知ってはいたんですがそれは資本というかメディアというか、全国区なものになってしまっているもので、その部分が(差異化ゲームとかでなしに競技や娯楽として)発展していくのは良いことなんだけど、その流れによって狭い部分での差異化がスポイルされていたりするんではないかな、というのがあります。あ、でも(ただの優越感比べ的な)差異化がなくなればそれはそれでいいのか。いやでもそういった差異化から生まれてくるものもあるのでは、といったような。
んー、繋がってないな情けない。メディア/現場というところで引っかかったんだけど。

持/非持

http://d.hatena.ne.jp/nitino/20060831
を読んでいて変な感情*1が湧き上がってくるのを強く感じたので薄ぼんやりと考えていたところ
恐らくhttp://d.hatena.ne.jp/setofuumi/20060705#p2
ここらへんの感覚が根っこなのではないだろうかという気がした。とりあえず出せ(動け)となったときに、その時に土台にできる根の部分を持てているな、という嫉妬のようなもの。俺は(生まれ*2以外に)土台にできるような経験をほとんど持っていない、あるいは今までの経験を土台として認識することができない、といったような。いやでも人(文章)によってこの感覚があったりなかったりするのは何故だ。その人(文章)が殊更特殊だからそれに比例してこう感じるわけではない。わからん。そしてここらへんを解決するには(それが閉じていたとしても)自分の根っこの部分を強化していく他ないのだろうなあ、というところでやっぱり変な感情を抱くことになる。
ああ、違うかもしれない。俺は自分の経験を真っ当ではない(土台にならない)ものと認識しすぎているという話かもしれない。いやあでも真っ当なモンじゃねぇよなこれはどうやっても、とか思ってるのが重症くさい。とりあえずここ数年は土台作りを意識していた部分があるので今後そこら辺を固めていけば精神衛生上よろしい、という話にしておこう。

コミュニケーションの話

コミュニケーションというか言語学的な話を学校でしていて、年配の先生が「ネットのやり取りは"本気"じゃねぇから学問の範疇外だヴォケが(超意訳)」というようなことを語っていてああこれはいかんともしがたいなあとか思った。いやまあネットを見渡せばまったくもって否定はできんのだがいやでもそればっかりで埋め尽くされているわけでもないしどうなんだろうそこらへんも学問でカバーできたら素敵なんじゃねぇのとか思うがまあ学問ごとに守備範囲というか前提があるわけでそういうものなのかしらん、と思って「そうですね」と返した。

漫画買った

真説 ザ・ワールド・イズ・マイン (1)巻 (ビームコミックス)

真説 ザ・ワールド・イズ・マイン (1)巻 (ビームコミックス)

真説 ザ・ワールド・イズ・マイン (2)巻 (ビームコミックス)

真説 ザ・ワールド・イズ・マイン (2)巻 (ビームコミックス)

時をかける少女―TOKIKAKE (角川コミックス・エース (KCA162-1))

時をかける少女―TOKIKAKE (角川コミックス・エース (KCA162-1))

真TWIMにインタビューが載っていてアツい。そして一巻から何故か涙腺が緩む。

時かけ高瀬君問題

書こう書こうと思いながら書いていなかったので書く。2つ目はネタバレ。
♪ひとつ酷いよ猫殺し ふたつブログで叩かれて - 失踪外人ルー&シー
【Time waits for no one】時をかける少女-21【← ( ゚Д゚) ハァ?】
ここらへんの話。
俺としては高瀬が不幸を被り、かつ"不幸になってしまった人"としてクローズアップされなかったからこそ中和された部分があったと思っている。ぶっちゃけ言えば、マコトが「高瀬が不幸になった」と強烈に意識して云々かんぬんというストーリーであったならば俺は不満が残っただろう、というのがまずある。マコトが「他人を不幸にする」というのを自覚するためにはあの形が最も説得力があったと思っている。高瀬という「他人」を通して「親友のけが」に繋がっていくところとか。
さらに、高瀬について「救いが無い」と評されるのをいくつか見たが、俺はそうは思わなかった。彼の心理や行動は(俺にとって)とても自然で、真っ当であり、そこに無残さや救いの無さは感じられなかった。結果としてネガティブで不幸な人間として描かれたとしても、俺は彼は真っ当だったと思う。誤解を恐れずに言うならば、あの高瀬を「救いが無い」と言ってしまうのはわがままなエゴだ。むしろ「救いがある」ように偽装してしまったら俺はそこに疑いを持っていたような感覚がある。そしてもしそうなっていたならば、その高瀬の「救い」はマコトの(あるいは製作者の!)配慮に依存したもの、となってしまう可能性がある。それこそ高瀬個人にとって「救い」がない、ということになるのではないか?


2つ目のリンク先で「リープの影響が残ったのでは」というのがあるが、俺は否定的だ。スレで既に似たようなことが書いてあるが、あくまで「残っているように見える」だけで、彼/彼女らの反応は至極普通のあり得る反応であり、そこに「影響が残っている」とエクスキューズを求めてしまうのは美しくないと思う。まあ美意識の問題になってしまうとは思うけれども。


そして、高瀬君が一見「救いのない」ようなヤツで、記憶どうこう抜きでああいった人間であり、そして殊更にスポットライトを浴びることなく「マコトが影響を与える人物」のワンオブゼムだったからこそ、あのラストから、高瀬を含めた説得力のある「未来」が幻視できるのではないだろうか。



でもな、ラストシーンのどこかには写って欲しかったよ。正直。エゴだと思うんだけど。すれ違うだけでもいいから画面に見えて欲しかった。ホント。