http://d.hatena.ne.jp/tosakusha/20060703/1151891613

normalな目的: ある程度やり込む、つまりゲームでの目的を果す(クリア)すると、
転用、手段化: 次の段階は、ゲームを手段として、仲間内で遊ぶ、みたいなところがあった。

ここらへんの問題から、ゲーム製作側が変わったのではなく、先に変わったのはユーザー側ではないか、と自分は考えています。ある時期までの「ゲームをやりこむ」という行為は、一地域のゲーセンあるいは学校のクラスの中においてのリアルな競争(ファミコン時代は"友達に差をつけろ!"というアオリが一般的だったような)。もしくはコミュニケーションツールを兼ねた一人遊びであって、そこから外側へ出ると「高橋名人16連射」とかのファンタジーになっていたんではないでしょうか。そしてこの時点では、ゲームにおけるルールというものはそのゲーセンなりクラスといったコミュニティ独自のものであり、ゆえに製作者の意図しないオリジナルな「やりこみ」もそのコミュニティ内で生まれ、評価された。

これが若干変化するのが格闘ゲーム全盛期で、それまではファンタジーだったはずの部分が「大会優勝」であるとか「主要都市部ゲーセンの有名人」といった属性によってファンタジーからリアルに近づいていった、と自分は考えています。もっと遡るとゲーメストの全国スコア集計なんかがあるのかな、と思いましたが詳しくないのでパスで。

こういったリアルな「全国区とされる競技種目」が定められ、それが狭いコミュニティにも浸透しきったのが今現在の状況なんではないか、と。そしてこういった全国区化とでもいうような流れには当てはまらなかったRPGに代表されるジャンルも、web上攻略スレ、サイトの普及によって「競技種目」が決まっていき、製作側もそれに準拠するようになっていった、と捉えています。その意味でファミ通のやりこみ特集はその流れの一端を担っていた気がします。あくまで非公式な「縛りプレイ」*1に雑誌掲載という権威的なものが認められれば、ユーザー側もメーカー側もそれに乗る、というのが自然な流れではないでしょうか。あるいは初期こそ草の根的な狭いコミュニティだったwebサイトが、webの特性上だんだんと一極集中的になっていき、そこに権威が生まれた、と考えることも出来るかもしれません。

こういった状況だと、一ユーザーが独自な「やりこみ」を実行してたとして、それは狭いコミュニティ内ですらも「競争」「コミュニケーション」としての機能を発揮しにくくなっているのだろうな、と思います。これは一般的なネットゲームにおいて、「競技」的な部分から脱落した層がゲーム的な部分を嫌い、過剰に「コミュニケーション」へと傾倒していくのと関連がありそうだと感じています。まったり - オンラインゲームグループ

とはいえ、雑誌や2chYoutubeに独自なやりこみが紹介され、それが評価されるという要素はあります。ですが、それは今現在「競技種目」とされているもの(大会、雑誌のレギュレーション、メーカーの準備したやりこみ要素)に比べて圧倒的に弱い…というのが問題になるんではないでしょうか。また、かつての「独自やりこみが雑誌掲載」→「メーカーが採用」→「全国区の競技へ」という流れが無くなっているとも言えると思います*2。このサイクル中の起点となる部分が生まれないのが、ゲームデザインによるものなのか、ユーザー意識によるものなのか、はたまたゲーム雑誌の保守性から来るのか、2chYoutubeの消費速度(⇔公式な競技のゆっくりとしたサイクル)によるものなのか、自分にはまだわかりませんが。

Erlkonigさんの「アンディー・メンテ」の解説からは、製作側が上のようなサイクルが回るよう力を注いでいるのが鍵になるのかな、と感じます。

*1:やらしい

*2:バイオのナイフクリアーとか