「はてなブックマーク」と「いじめ」の差
はてなブックマーク - 被害者の駆逐 - コトバノウタカタ
http://b.hatena.ne.jp/entry/http://d.hatena.ne.jp/tetsu23/20051130/1133312329
はてなブックマークを巡る問題に「いじめ」の論理を見る、という見方。
ブックマーク、いじめ、(あと個人的には非モテも)、「自由にやる」と「被害者を守れ」が対立しているのだと思う。その上で、この見方は危険だと感じた。
「はてながユーザーのためにオプションを充実させる」という方向でのシステム変更論は納得できるし、ブックマークの外側からのコミットしにくさには疑問を感じている、と前置きして。
逃げやすさ
はてなブックマークを巡る問題には、受け手側に「逃げ道」「回避手段」がある。「無視する」「気にしない」(加えて、肯定的なものは受け入れる)というかなり容易な対抗手段があるし、プライベートモードやアクセス制限も既にある。他のサービス(SNS含)もあれば、過去をリセットして再出発する事も驚くほど簡単だ。そして伝家の宝刀「ネットすんな」もある。こういったブログ(というかネット)における「逃げやすさ」を忘れていないだろうか。
逃げにくさ
ネットの外(現実)で悪意や差別と出会い、そして法や権力がしっかり守ってくれなかった場合、どこにも逃げられない。その「逃げにくさ」こそが「いじめ」に代表される解決困難な問題の難しさだと自分は考えていて、それをネットに関する問題の例えとして使う事には激しい違和感と危機感を感じる。
本音としては
ネットにおいて「持っていたものを失う被害者の保護」よりも「持つことを求める者の自由」の側に立ちたい、と考えていたりする。そして、「被害だけをばら撒く行為」は当然批判されるべきだし、その際には「失う被害者の気持ちも考えろ」ではなく、「求める者とより良い関係を作れるように」であって欲しい。