ラジオクリルタイでの話

クリルタイにて俺が放言していた部分に関することを微妙に触れてもらっている(と思い込んだ)ので補足のようなものを。
2006-05-06
日記みたいなもの - 行乞記 - 断片部
ここらへん。見逃してたり見当違いだったら土下座。

  • 自分語り

基本的に「うだうだ言ってないで愉快なものをwebに放り込め!」というような感じの物言いはとても正しいと思うし、世の中がそういう風になっていけばいいと思っているし自分もそうあるべきだとは思うのだけれども、その物言いですらも「うだうだ言うこと」になってしまうという部分に何かを感じていたりする。

そこで喋る事をやめて(あるいは喋り続けながら)、いわゆる「クリエイティブ」な方向に真っ直ぐ進めれば万事オッケーなのだけれども、自分はそこで踏みとどまりたい、踏みとどまって「うだうだ言うこと」しかできない(というのは逃げなんだろうかと思う節もあるが)人なので、「うだうだ言うな!」の先にある「うだうだ言う」を模索していたりする。

タモリは東京に出てきて山下洋輔とかが騒いでるところに飛び入りで参加してそこから認められて芸能界に進出して行った」みたいなエピソードの話になって、タモリすげぇなぁとか語っていたのが使えそうなので例え話をしてみる。


ここでいう「飛び入りで参加したタモリ」的なものが「とにかく何か動け」というのに相当するのだと思う。確かにそれは「webで可能になった事」の中でも最も重要で基本的なことなので、「タモリ的であれ!」というのはとても正しいし、事あるごとに言われ続けていくべきと思う。


その上でさらに考えると、このエピソードには「タモリを面白がった山下洋輔」的なもの、という要素もあると考える。飛び入りで入ってきたタモリを「こいつ面白い!」と言える事、そしてそこから「こいつ面白いから」といって周囲に広げてしまう事(結果的にタモリを芸能界に進出させてしまうという事)。

この点をwebに当てはめてみると、はてなブックマーク(やその他諸々のソーシャルなシステム)がその役目を可能にした(あるいは可能性を大幅に引き上げた)と考えられる。まあ結局ここも「とりあえずやれ!」が結論になる(例→b:laiso)。


上の2つを踏まえて「いまここ」というのが自分の認識。で、それを踏まえた(できる範囲で行動する)上で「うだうだ言う」場合に何を語れるのか、というのが俺が抱えている問題。

タモリの例えを続けると、「その後、なんだかんだあって今現在のタモリに」の「なんだかんだあって」の部分を我々は語ることができるのではないか。第二第三のタモリを期待するからにはそれを語るべきなのではないか。というような事を考えている。具体的に言うならば、「タモリが芸能界でメシを食えて今の位置まで辿り着いた事」とでも言うか。

そしてそこまで突っ込んで語ろうとすると、歴史文化社会がどうこうとか資本主義が云々とか電通がどうのとかいう話に(多分)なるので、自分の知識と経験(あと境遇とか世代とか学問の素養とか色々)ではちょっとばかり手に余るなぁ、というのがなんとも。
なので、今のところは手が出しやすそうなコミュニケーション話とか糸井重里やレトリックの方面を思考してうだうだ語ったりしている、というのが現状。

そんな感じなので、いわゆる頭の良い人とか語るのが上手い人とか教養がありそうな人には、そういう事をどんどん語っていただきたい、というのが自分の希望であり、先日放言したのはそういう思考から出た発言だったというわけです(というわけですじゃねぇよ)。


あとその点で今のところ具体的にこれだっと言えるとしたら投げ銭くらいしか思い浮かばないよなぁ、とか。パトロンってのが出てきたのはそこらへんから。