雑談の楽しみと出版の責任

よつばの。
岡田斗司夫さんの対談本「オタク論!」が出版されてその内容がどうこう、という話。
例によって(紹介文参照)俺はオタクとは何か的な話はスルーせざるを得ないし、そもそも内容を読んでいないのであれなんだけれども、「雑談を出版すること」について考えざるを得なかったのでいくらか書いておく。


動機をまず簡単に説明すると、俺は「ゲームの話をしよう」という本を愛してやまないのだけれども、その本というのが「雑談の面白さ、スピード感、わけのわからなさをそのまま届ける」というコンセプトで作られていて、それを俺としては肯定的に考えたい、というのがある。それでも、雑談の不正確さ、わけのわからなさというのははっきりとした欠点でもあり、弊害もある*1。そのジレンマをどうすればいいのか、という問題。


リンク先の文章やコメントのいくつかは、雑談の楽しさやそれが出版されること自体にはかなり好意的に考えているように思えた。これは大変喜ばしい。その上で、情報として怪しいものへはツッコミはされるべきで、そして出版するに際して気遣い(校正)が必要だよな、と思う。誤字にしてもそう。あと「分からないなら話題にしなければ良いのに。」は全くごもっとも。
こういったツッコミを読んでいると、手広く語ろうとしすぎると良くないのだろうな、と思う。ここらへんは「オタク」という言葉を巡る問題にもなってきそうだけど置いといて、雑談を公表するのなら、気遣いとともに「こいつがこんなノリで言ってるなら仕方ない」と思わせるだけの担保が必要な部分もあるか。岡田斗司夫さんというのはコメントを見ているとそういう担保がそれなりにあるようだけど、それにしてもツッコミを見ていると(詳しくない俺から見ても)ちょっとひどい(担保の許容量を超えている)とは思う。


と、なんだか俺がまるで出版する側に立って考えているような書き方だけれども、こういうのは「ネットに何か書くこと」にも*2繋がってくる問題だと考えるからで、俺としては「書く側」「ブロードキャストする側」の問題として考えていきたいところ。繰り返しになるけど、その点で、リンク先のツッコミとコメントは「書くこと」「雑談すること」については肯定的なのが読み取れて良かったなあと思う。とりあえず雑談は楽しい、というのがあって、それを場(あるいは手段、ツール、範囲)を変えてアウトプットするにはどうすればいいのか、という問題だと思っているので、非常に参考になった。


あと蛇足ながら話を広げると、「雑談なんだからつっこむな」というのは「ネタマジレスよくない」と一緒で、よっぽど共通理解が無い限りは言ってはいけないことだと思う。ここらへんは「つっこまれたら感謝して粛々と修正します」精神くらいがちょうどいいような。ああ、でもここらへんを突き詰めていくと、「岡田斗司夫は我々のトイメンの椅子には座らない」という問題が出てきて、今回の話はやっぱり広げて考えるには特殊な話なのかもしれない、と思ったが書いてしまったのでそのまま残しておく。

*1:ここらへんについてごく最近断片部でやりとりがあって改めてこう感じた。

*2:同じではないにしても