ゲームとしてのパチスロ

http://d.hatena.ne.jp/cuttlefishmk2/20070514/1179139386
ここから
http://d.hatena.ne.jp/shidho/20070514#p1
http://d.hatena.ne.jp/nibo-c/20070515/1179155313
ゲームとパチスロについては過去のこれも
http://d.hatena.ne.jp/Hayashida/20070102/1167675360


パチスロやギャンブルに関して、実際にやってる人の話を読めて大変参考になった。
特にshidhoさんが書いている「運要素と腕要素の区別」といったような話は、家庭用、アーケード、ネットゲームとあらゆるゲームにおいて重要な部分かもしれない、と思った。


パチスロは家庭用のを少しだけ見たり触ったりしただけの俺もいくらか書いておくと、「セオリー通りの操作」によって「結果が残る」という快感はある、というのがあって*1、そこでの鍵というのは「操作の結果としてアウトプットされるもの」だろうな、と。それは「数字」であり「光と音(映像)」であり、そしてパチスロだとそれに加えて「貨幣(交換可能)」がある、という話。それらのどの部分に快感を感じるか、その比重はどれくらいか、というのは人によってまちまちだけど、パチスロが演出的になってるのを見ていると、これらの要素は「ある」よな、と思う。
あと、「上達する快感」と「操作する快感」というのは必ずしも一緒ではなくて、「上達する快感」を発生させるためのギミックが「操作する快感」を阻害する、というケースもあるよな、と思った。それこそ、素人がSTGをやって一分持たずにゲームオーバー、というのが例えとしてよく持ち出されるように。
言及している人がことごとく言っているように、それらは別の快感であって、どっちがいいというものでもないし、どっちかしかない、というものでもない。ただ、何かを語ったり、しっかり考えたりする*2際には別々のものとして捉えなければいけないよな、と思う。そして、「自分は(他の何かではなく)この快感が好きだ」というのはとても重要で、それを把握するためには「他の何か」を把握するのもまた重要である、と思う。

*1:わかりやすいところだとRPGネトゲのLvupとか

*2:俺言語だと「欲望をやりこむ」