setofuumi的「けまらしい」の解説

「日常/非日常」「密/疎」「off/on」
注意書き
ここの項は実は「だからどうなんだ」という内容だったりする。
まあ趣味の分析、みたいな具合で読んでもらえれば幸い。
問題は「何かを誰かに向けて書く」時か、「自分の欲望は何か?」と問いかけた時にだけ発生する。


注意書き2
これらの分類よりも上位に「実際の生活圏の範囲での人間関係」というのがある。学校とか職場とか家族とか。それは当然として、の話。
また、それら「生活圏」での人間関係がある人、あるけど辛い(悩んでいる)人、場はあるけど関係がない人、場がなくて関係もない人、と場合わけして考えると色々と広がって面白いと思う。興味がある人はそうしてください。



A(A')BCDEのヒエラルキー
多分図にするとわかりやすい、のだが、そういうの苦手なので後でやる。図の作り方教えてくれる人いないかなー。

書いてみた。こんな感じ。
http://f.hatena.ne.jp/setofuumi/20071026160152

日常 非日常
オフライン(密&疎) A A'
オンライン(密) B C
オンライン(疎) D E

なんだこれでいいじゃねぇか。何をやっているのか俺は。

ポイントだけ書いておくと、「A=日常的に会って会話をする」とすると、それは一部の人間にしか到達し得ない地点であって、かつ非・一部の人間がそこに近づいても「A'」(A≠A')というものになってしまう、といったような話。ただ、それはただの事実なので、良い悪いではない(噛み付く人が多いのでエチケットペーパー敷いとく)。が、「書くこと」においてはそれは良い悪いになり得る。それでもそれは「setofuumiの評価」としてしかアウトプットできない類のものだけれども。
あとonoffの壁みたいなものについて。「リア充について」といってもいい。

引用してる人がいるので追記する形で。
各項目を補足すると

A 日常的に会って話すとか飲み食いするとか。交友、交際関係と呼ばれるもの。密もあれば疎もあるが、蓄積することによって密へと向かっていくことが大抵(疎が続く場合は交友関係自体が消滅するというのもあり)
A' イベント的、旅行的に会って話すこと。密度がどうなるかはわからない。また、その一回きりで蓄積はない。なんの接点もない場合もあるし、ネットやメディアを通じて、あるいは血縁関係など(他人によるA)によって接点がある場合がある(今回は後者の方を意識している)
B 日常的に密度のあるネットコミュニケーション。いわゆる「ネット上の知人」との会話。 これもAと同じく、蓄積によって密に向かう、という側面がある
C イベント的にネットによってコミュニケーションする。スパンの長い文通なんかはこれに当たるか。ネットだとイベント的にチャットやSkypeが用いられるので想像しやすいかも。というかブログのTBなんかは大抵ここに該当すると思われる。
D mixiの晩飯報告的なもの
E 同一性のない相手同士のやり取り、みたいなイメージ。「匿名間のやり取り」はここに含まれる。もちろんメリットもある。これがEではないどこかに繋がる可能性は、あったりなかったり。

これを既存のものに当てはめてみるとこんな感じだろうか

オンラインのどこから(BCDE)でもAにもA'にも接続可能。
A,A'の延長として、補完のためのB,C、というのがある(もちろんネットを前提としたB,cが無いわけではない。両方あるということ。)。

  • 地方ブロガー

Aには到達不可能。A'まで。日常としてはBが最高到達地点なので、D⇔Bみたいなのが重要になる。また、この時のBは、東京ブロガーの「A→B」「A→C」といった「リアル補完ツールとしてのネット」という使われ方とは若干違ってくる。

基本的にA,A'だけが存在し、補完的にB,Cがある(毎日のメールや仕事上のメール)

  • 出会い系的なmixi、出会い系そのもの、突発VIP/anondオフ

EからA'へとショートカットする行為。稀にA’からAに接続可能。
ここにも地方/東京の格差的なものは存在する(地方者はAは基本的にありえない/極めて低確率)。

で、ここらへんから考えていくと、「けまらしい」というのは

「自分には到達し得ない部分(A,A'-E)、あるいは、その部分を前提としたオンライン上の振る舞い(A,A'を前提としたB-E)が可視化されたときに、それらに対して向けられる怨嗟の声である」

とか言うとかっこいいのではないだろうか。

そして、「けまらしい」と言ってしまう、言ってしまうがちな人に俺から何かアドバイスできるとすれば

それは本当に到達不可能なのか

自分は本当にそれを必要としているのか

必要とするものを得る手段が他にないか

可視化されるものを、不可視化できないか

あとこれは「高望みするな(甘えるな)」論法になるので好きではないが、mixiで晩飯報告する人間関係もアリなわけで、A-Eどこにでも幸福を見出すのは可能だ、ということ。まあ自分の欲望がどこにあるかを見極めて最適な行動を取りましょう、になるんだけど。一般論くせー。
あたりになるだろうか。「言われる側」に関してはもう既に書いたので割愛するが、やはり「言われる側が"言われる"というコストを支払うべき。なぜなら言われる時点でハッピー*1なのだから」と考えている。自分も含めて。

*1:…というのは個人の意識でしかない、というのは重々承知の上でこう書く