うまいこと言う、あたり

以前

人生とか人間関連を大きく語って気持ちよくなるのはゲハ話みたいなもんだと思っているが、それで救われるのはどう捉えたらいいだろうか。

とか書いていたが、別にそれだけが特別嫌ってわけでもないんだよなー。でもなんか一定の割合で「あるある/うまいこと言う競争」になってるように見えてどうもだめなんだな。「人生は○○である」大喜利があったらそっちいくんでしょ、的な何か。あとここらへんは、俺言語におけるネタマジ区分にも絡んでくる。自分の欲求として書くか(マジ)、他人へのウケを意識して書くか(ネタ)、といったような。
あとうまいことに関してのあれこれは2007-11-09 - 瀬戸風味@はてなで書いていたときに意識していたことが近い。
過去、「うまいこと」というものには、「文脈を外す」とか「不謹慎」とかいった意味が若干含まれていたような気がするのだが、今はもうなくなっている気がする。ビートたけしネタがベタに受け取られる問題みたいなもんだろうか。
あと「うまい」「面白い」というのは、本来事後的に発見されるもののような気がするのだが(「間」や「タイミング」あるいは「ギャップ」といったものが重要な要素となる側面はあるだろう)、どうもそれが見えにくくなっているような感覚がある。事前に「うまい」「面白い」があらかじめ決定されている、あるいはそれ自体が目的とされている、といったような。