モヒカン族の話

前置き:(この言葉を巡る問題の)自分の中での基本的な解釈は
モヒカン宣言 - モヒカン族
http://mohican.g.hatena.ne.jp/bbs/2
の二つから成り立っている。bbsの2005年あたりの読んでいると今でも面白い。

時々思うこと

  • 端的に言って、造語として息が長すぎてすげぇな、と思う。言葉好きとしては戦慄する。身内内のチャットとかでもないのにものすごくナチュラルに使ってる人もいるし。
  • なんかだいぶ広い意味で使われてたりもするので言葉すげーって気分に。
    • 中には明らかに「いやそれ区分けするまでもなく普通の行為だろう」みたいなのとか、「違う言葉で既に表現されてるしそっちのほうがいいだろ」みたいなのまで「モヒカン」とか言われてるのを見かけたりもした。

そこから考えること、あと自分の解釈

  • 発祥に関しては冒頭のリンクからどうぞ、と端折ってしまうが、造語遊びの形で(コミュニケーションにおける)文化摩擦を表現している、と思っている。
  • そこでモヒカン族(の性質)と呼ばれるのは「言語化できるものは(隠したり前提として決め打つことなく)はっきり言語化して提示しましょう」ということだと思っている。
  • これはwebにおけるコミュニケーションが言語のみだった時期にできあがった生活の知恵みたいなもんで、そうやった方が色々便利だからそうなった、というもんだと思っている。
    • なので、職種がどうとか性別や出自がどうだから、というのに理由を求める物言いはちょっと違うのではないかなあ、というのは思う。
      • とはいえ、そういった要素とweb上でのあれこれとの間に親和性はあっただろうな、とも思う。
  • そうではないケース(g.mohicanの言葉でいうと「ムラ」)としては、家族間で「おいアレ」といって通じる、みたいな話だと思っている。
    • これはコミュニケーションのショートカットとして正しい*1
      • けどそれはローカルだったり「進化した結果」であったりするので、「文字だけ」という原始的なコミュニケーションの場では難しい。
  • モヒカン族的なものというのは、「異文化間で原始的なコミュニケーションをしなければならない」というwebの普及し始めのころの状況に最適化されたスタイルだと思っている。
    • 今現在はチャットやメールだけでなく、音声や動画もガンガン飛び交っているが、でもやっぱり原始的な部分は残っていると思う(特にブログなんかでは)。
  • いわゆるモヒカンとムラの摩擦」というのは、コミュニケーションは「異文化との原始的なもの」というつもりでモヒカン側は構えていたところにコミュニケーションは「同じ文化との高度なもの*2」というつもりのムラな人が入ってきて摩擦が起こっているのではないかな、とか思っている。
    • 若者を悪く言うつもりはないが、(俺を含め)あんまり人生経験なかったり、異なった「場」を複数経験していないような人は、他人を「同じ文化の人」と思いがちだし、それゆえ高度なコミュニケーションをいきなりやってしまいがちのような気がする
    • 一方で、交渉や駆け引きを含めた仕事上のコミュニケーションを経験していたり、異なる場によって対応を変えていたりする人はそこらへん柔軟なんじゃないかな、とも。
      • 昔は"web上にいる人間はほとんどすべて自分と同じ文化で高度なコミュニケーションが可能である"と決め打つ人は少なかったのではないかな、と思えるのでそういうことでもあるのかなー、とか思わんでもない(思いっきり推測なので信用しないこと)。
  • ここらへんをまとめると「ネットはサザンクロスシティだぜー(ということが周知されていないので摩擦が生じる)」という既に言われている言い回しになってしまうのだけれども*3、改めて書いてみた。
  • もちろん、今現在のネットのコミュニケーションツールはどんどん多岐に及んでいたり、フィルタリングは高度になっていっているので、「異文化との原始的な会話」にこだわる必要は薄れてきており、今現在には今現在なりに適応したコミュニケーション手法があるんだろうけれども。
    • でもやっぱり、「異文化との原始的な」スタイル、いわゆるモヒカン族スタイルをとっていいれば、待ちは広く取れるんではないかな、と思っている。

*1:言語が短縮される方向に進化していくように

*2:優劣ではなくて、複雑か単純か、といった基準でいうところの「高度」

*3:これに限らず、俺が書いてることはだいたいg.mohican内で既に言われている。