俗流ゲーム史論とか言ったものの

別にゲームについて語るなら云々というつもりはなく、例えば真性引き篭もりの文章は「文章として良い」「物語(語り手、語り部)としてのもの」というある程度の了解があれば素晴らしいもんだと思うし、ここまで極まってなくとも「ゲームにおける個人的な文章」というのは世の中にいっぱいあってほしいとも思う*1
けどまああの手合いの文章が「歴史」「事実」とされても困るし、「ゲームの話」「ゲーム語り」*2だと思われるともっと困る、というか気分が悪いというのがでかい。
みたいな。

*1:永田泰大という人が「魂の叫び」という連載でやっていたようなことは圧倒的に正しいと思う

*2:のスタンダードというか、お手本というか