ゲームの話。ゲームの話をすること。

とりあえず
http://www.4gamer.net/games/094/G009426/20091225093/
http://b.hatena.ne.jp/entry/www.4gamer.net/games/094/G009426/20091225093/
を読んでいての感想。

原文
http://togetter.com/li/2406

感想

  • 俺が10年前に「ゲームの話をしよう」を読んで知ったことが正しいのなら大体正しいと思った。
    • けどそこからすると、語りやすいところは語られるけど語りにくいところは語られないんだな、という感想も持った。
  • 「ゲームは生活の中で時間を勝ち取らねばならない」なんてのはたまごっちが当たった翌年には語られていたことだし、生活とはコミュニティでありコミュニケーションだ、ってのはいわゆる「ケータイ」「ネトゲ」の文脈では語り尽くされてることだと思う。
  • コミュニケーションやツールなんて当たり前な側面はもう前提にしちゃって、「体験」を語るしかないんじゃないの。将棋や麻雀にだって固有のドラマはあるんだから。
    • 体験に軸足を置かないのなら、もっと新しいところまで射程を伸ばさねばならんのでは、が本意に近い。
  • とはいえ冒頭の文章に「体験」としての記述が無いというわけでもなく、なんだろう。やっぱり「語りやすいところしか語られないのか」が実感になるか。
  • なお、setofuumiはラブプラスに関しては全く持論も体験も所有していないのでそこに関しては茶々入れだと自覚している。
  • 自己弁護すると、「社会学者が4gamerで記事を書くなら」というところを若干意識している。

ちょっと話飛んで「ゲームの話をすること」について

ほとんど自分語りになるがいい機会なので書いてしまうと
http://twitter.com/setofuumi/status/7104177489
で想定しているところの話。
http://twitter.com/medtoolz
観測範囲の中では、偏見承知でこの方にそういう印象を抱いてしまうのだけれども、これは多分近親憎悪のようなもんで、実際のゲーム知識なんかはmedtoolzさんの方が多いんじゃないかと思っている。
それでもそういう感情を抱いてしまうのは、前述の理由に加えて、よく言われる「有名人は発言の影響力を考えろ」というのもあったりするし、この人が「半可通の適当なワイドショーコメント」で実害を蒙ってたりするんじゃないかなあ、という邪推からだったりするが、それはまあ置いといて、ある程度知識がある人こそ、それ(ここではビデオゲーム)を語るときの手つきというのは慎重になって欲しいなあ、と思ったりしている。
それは自分が似たようなことをやってきて少しばかり後悔している部分があるからだし、いわゆる「広義のゲーム」、ゲーム理論だとか、「遊び」の意味でのゲームだとかの話が結構好きだったりするからで、それと「ビデオゲーム」の話は根っこは一緒とはいえ、やっぱり別のものだと今は思っているから。

投げっぱなしすぎて失礼だったので挙げるとhttp://twitter.com/medtoolz/status/6157207959において「怒る」と表現してしまうのはどうなの?というものがありました。medtoolzさんがゲームに関して(様々な意味で)語られていることは知っているし、それそのものは悪いことだと思ってないし興味深いものもあります。ですが、*1その発言が広がって拡散して行く様子を見ていると、俺が想像する「ゲームを語ること」とは違ったものになっていく可能性があるな、と思ったことがありました。もしそれが「○○という用法におけるゲームの話」とされていれば問題はないですが、「○○における」というのは拡散して行く段階で失われて行くように思えたので。
(怒るというpostが指し示すものははっきりしませんが)こういう懸念を表明することが「怒る」「怒られる」と表現されてしまうとしたら*2、俺はあんまりうれしくないし、ひいてはmedtoolzさんもうれしくないんじゃないかな、と思うのです。懸念している案件(思い切って、デリケートな問題、といってしまってもいいです)に関して突っ込みをいれたり入れられたりすることを「怒る」「怒られる」という構図にしてしまっていいものでしょうか?という話になります。
なお、俺の言ってることはコストやめんどくささの点で無理があるのは承知なので、書いてはみたものの「だからこうするべきだ」といえるところまで行けてません。が、書き留めておかないと忘れそうなので書いてしまいました。

まとめ

この二つは俺の根っこのところで繋がっていて、しかも色んな要素と絡み合っていてなんとも説明しがたい。嫉妬とかやっかみとか茶々入れといっていえないこともないのでかなり後ろめたいんだけれども、ぶつぶつ呟いてるのもなんなので改めて書いてみた。
ビデオゲームに関する記述は「体験の記述」の巧拙をもっと問われてもいい、と思っている部分もあり、逆に評論、批評や「広義のゲーム」に興味のある自分は「体験の記述」以外の記述がブレイクスルーすることをどこかで願っている、という感覚が伝わればうれしいが、正直書ききれた感じはしない。ゲームの話をしようの紹介でもして終わる。

ゲームの話をしよう (ファミ通Books)

ゲームの話をしよう (ファミ通Books)

*1:ここはまさに「影響力を考えろ」で筋悪なんだけど

*2:現にこのpostはふぁvもされてますし、一定の数の人に見られて、「怒る人がいる」ことは既成事実になったでしょう