埋まりつつある外堀と呼んでいるもの

何度かtwitterに書いていたのだがめんどうになったので書き出す。
ものすごく単純に表現すると、「文句があるなら本人に言え」というツッコミがいろんなことに対して抑えきれなくなってきている、といったような感覚。一昔前の「2chで陰口」なんかは色々な要因によってそれが封じられていた*1んだけれども、最近そうでもないぞ、という。
で、これというのは上の文章から想像される「watchする人」「watchされる人」という構図だけではなくて、結構な範囲の物事に適用されるのでは、と考えている。


「カブトムシを裏返して電池を探した」でも「徒競走で全員手を繋いでゴールした」でもなんでもいいんだけど、「こういうことがあったらしい。本当ならひどい話だ。けしからん。」というのは簡単だし、「そうだそうだ」とシュプレヒコールを上げるのも簡単で盛り上がるんだけど、そこから「じゃあこれとこれを調べてここに持っていってこういう手続きをしてくださいね」というところまでの距離がどんどん短くなってきていると思う。


芸能人に一言コメントするコメンテーターなら「本人と話す」ことが(twitter等で)だんだんと現実味を帯びてきているし、映画や小説等の作品に関しても同じ事が言える。ニュースとして人気のある政治、教育分野でも、「〜〜なことがあったらしい」と言っている間に、そのニュースの詳細*2はどんどん明らかにされているし、それにリアルタイムでアクセスできるし、場合によってはアクションを起こせる。


もちろんそういう流れに上手く乗って色んなことをしている人はたくさんいるし、そういう人の動きを見ていると未来っぽくてわくわくするんだけど、一方で「コメントしてシュプレヒコールを上げる人」側の人たちのことも同時に考えてしまう、という。
まあその(コメントと賛同からの)流れがやがて実際のアクションに繋がっていくケースももちろんあるわけで0か100かの話ではないし、陰口の快感とそれを享受する自由は当然ある。
タイトルは「匿名の陰口の場は外堀が埋まってきている」という感じの発言だったんだけど、「匿名の陰口の場」は実はそれはそういうもの、と割り切るならばそれはあって然るべきものだし、しぶとく生き残っていくだろう、とは思っている。ただ、その「匿名の陰口の場」で培ったものをそれをよしとしてそのまま顕名(実名じゃないよ)でやっちゃって、しかもそこそこウケちゃっている人はこれからどうなっていくんだろうね、というのは気になっているポイントではある。

*1:あるいは「電凸」「スネーク」などとまた別の何かとして扱われていた

*2:嫌味っぽく言うなら「真実」